飯能の由来や、歩んできた歴史をご紹介します

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歴史探訪

埼玉県飯能市歴史探訪
飯能市の概要
飯能市は、埼玉県の南西部に位置し、南に東京都、西に秩父市、東に入間市・狭山市・日高市と隣接しています。都心から約50キロ圏内の距離にあり、池袋から西武池袋線特急を利用すると、約40分で行き来ができます。奥武蔵の豊かな自然があり、江戸時代から「西川材」で知られる杉や檜の産地であり、木材・織物のまちとして繁栄してきました。
近年では、首都圏の近郊住宅都市として変化をみせ、平成17年(2005年)には入間郡名栗村を編入合併しました。同年には、「森林文化都市」を宣言し、森林資源を活用した新たな森林文化と、活力のあるまちづくりを推進しています。

飯能のあゆみ
飯能の山地は秩父山地の東縁にあたり、その基盤岩は今から約2億5000万年前に誕生したと考えられ、秩父古生層と呼ばれています。海底に生まれた秩父古生層は、中世代には陸化しますが、約1億3000万年前のジュラ紀から白亜紀にかけて、再び部分的に海底に没し、奥秩父の大滝層群や地溝帯の中生層が堆積しました。飯能に人が住み始めたのは先土器時代とされており、この時代の遺跡が台地上の狭い場所に数ヶ所発見されています。

『続日本紀』によれば、「奈良時代の霊亀2年(716年)、飯能周辺に1,799人の高句麗系渡来人が集められ、高麗(こま)郡が置かれた」とあります。近年、遺跡の発掘調査が進み、芦苅場では「堂の根遺跡」が発見され、常陸産の須恵器が出土しています。また、隣接して発見された「張摩久保遺跡」では、奈良・平安時代の集落と共に掘立柱建物群が発掘され、その並び方や文字の書かれた土器などから、通常の集落ではない様相を示してます。このことから、万葉の時代、飯能の平松から芦苅場にかけて、人々が移り住んできたことがわかります。

飯能と武蔵七党「丹党」に属する加治氏の関係は、秩父基房の子・五郎経家が高麗郡に来往していたことに始まりました。その後、経家の次男・家季が、加治二郎と称してこの地に住み、その息子・助季が中山に住んだことから中山姓を名乗り、鎌倉時代以降の飯能を治めました。加治氏は、飯能の東、平地部を本拠としていましたが、西の山間部には「猪俣党」に属する岡部氏の勢力が及んでいたといわれています。

江戸時代になると、江戸の人口はどんどん増加し、家屋建材の需要が増えました。また、当時の江戸では火事が頻繁に起こり、木材需要をさらに高めることとなります。それに伴い、江戸に近く、木材産地であった飯能は栄えました。江戸に材木を運ぶのに、筏を組んで川を下り、約10日がかりで材木問屋がある千住まで行き来していました。「西川」という地名はありませんでしたが、「江戸の西の川から来る材」という意味から、材木は「西川材」と呼ばれ、この地方が「西川地方(西川林業地)」と呼ばれるようになりました。

明治22年(1889年)、町村制施行に伴い、高麗郡飯能町・中山村・久須美村・小瀬戸村・大河原村・小岩井村が合併し、明治29年(1896年)には、高麗郡が廃止され、入間郡に編入されます。その後、町村合併を重ね、昭和29年(1954年)の市制施行によって「飯能市」の誕生に至りました。さらには、平成17年(2005年)に名栗村と合併し、新しい「飯能市」として歩み始めています。


飯能の名前の由来
「飯能」の地名の由来は、
・丹党(武士団)の「判乃氏」から
・朝鮮語の「ハンナラ(大きな村)」から
・年貢が半減された「半納」から
など、さまざまな諸説があります。


飯能の歴史についてもっと詳しく知りたい人はこちら↓
 飯能市郷土館
住所: 〒357-0063
埼玉県飯能市飯能258-1 [地図を見る]
電話番号: 042-972-1414
開館時間: 9:00〜17:00
休館日: 月曜日(祝日の場合はその翌日)、12月28日〜1月4日
入館料: 無料







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